特別編として長谷木記念幹にて行われたブックトークより、森田真生さんによるコラムをお届けします。

木の声を聞く

森田真生

 長谷木記念幹を初めて訪れた日のこと、幹長の吉井信幸さんのご案内で、記念幹の扉がゆっくりと開いた。樹齢二〇〇〇年の「コースト・レッドウッド」の木の一枚板でつくられた、高さ四メートルを超える巨大な扉だ。遠大な時間の厚みそのもののようなこの扉が開くと、正面に、記念幹の中心を貫くようにして立つ、一本の大きな「木」の姿が現れた。「最後の木挽き」と言われる名人・林以一さんの手によって仕上げられた、樹齢六百年を超える「ダグラス・ファー」である。まるで何百年も前からそこにあり続けていたかのように、木は静かに、その場に鎮座している。

 私は目を閉じてじっと耳を澄ませる。この木の言葉を聞き取るためには、人間の時間の外に出なければならない。

 人間の時空を突き破り、遠い過去と未来をまたいで立つ木。私は、リチャード・パワーズの小説『オーバーストーリー』のある場面を思い出していた。この物語では、人間だけでなく、樹木も、樹木自身の言葉を持っている。樹木は、人間が紡ぎ出す物語の背景にとどまるだけでなく、ときに、物語の前景に飛び出し、物語の語り手そのものになる。

 この物語のなかに、ひときわ印象的な場面がある。人間による環境の破壊と森林の危機——この危機から樹木を救おうとする人間に対して、夢のなかで木々が笑う場面だ。
「私たちを救うだって?いかにも人間が考えそうなことだ」

 そう言いながら木々は、人間には聞こえない速度で笑う。ゆっくりと、何年もかけて笑う。

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 木の姿に誘われるように、視線を上に向けていくと、木はまっすぐ、天空をめがけて立っている。樹木は大地のなかに根を伸ばしていくだけでなく、天に向かって伸びていくのである。まるで純粋な木そのもののような記念幹の「心(しん)の木」を前にしていると、というほとんど当たり前の事実に、あらためて新鮮な感動が湧き起こってくる。

 生命は海のなかで生まれた。誕生してから何十億年ものあいだ、生命は海から地上に進出することがなかった。

 いつまでも海のなかにとどまり続けてきた生命の長い歴史を思うと、淡々と天をめがけて伸びていく樹木の意思に、何か異様なまでの迫力が感じられてくる。まるで地球を飛び出し、宇宙に手を伸ばそうとしているかのようだ。

 木に手を当て、木の心を感じようとする。だがそんな私を、きっと木は笑っているだろう。木の心をわかろうとするなんて、いかにも人間の考えそうなことである。

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 地球上に樹木は溢れている。人類が地上に誕生するずっと前から、樹木は地上のいたるところに広がっていた。それなのに私たちは、まだ樹木について知らないことばかりなのである。

 植物の知性についての研究の第一人者であるイタリアの植物学者ステファノ・マンクーゾは著書『植物は<未来>を知っている』のなかで、自然環境で成長した一本の樹木が、いくつの根を持っているかということについてさえ、科学者ははっきりとはまだわかっていないのだと指摘している。

 こうしたデータの不足だけを見ても、植物の隠れた部分についての研究は、まだまだ進んでいないことがよくわかる。今日でもまだ、根の運動を記録できる技術や装置のないことが最大の障害となっているのだ。実際、根について知るには、根全体の三次元映像の分析を継続的に行える非侵襲的システムが必要になる。そうしたシステムの実現は、まだまだ先の話だろう。
——『植物は<未来>を知っている』

 これほど身近にありながら、これほどまだわからない。未知は、遠いところにばかりあるのではないのだと樹木が教えてくれる。

 見たり、聞いたり、触れたり、味わったり……人間にはさまざまな感覚が与えられている。木の放つ香り、柔らかな肌の感触、美しい木目を自分の目や手や鼻で感じるとき、私たちはたしかに、木と出会ったと感じる。鮮烈な感覚(feeling)に、嘘はないように思える。

 だが感覚は、人間の生きる時間のスケールに拘束されている。一秒の間に何百回も点滅する蛍光灯の明滅を、私たちの目は見ることができない。何千年もかけてゆっくり成長していく樹木のダイナミックな動きを、私たちの感覚は、その瞬間にじかにとらえることはできない。

 「自分に似たものしか私たちの目に入らない。悲しいことだ、そう思わないか?」と、『オーバーストーリー』のなかである人物が、娘に問いかける場面がある。同じ生命でも、人間と樹木は、あまりにもかけ離れている。だから私たちは、樹木の存在を、いつも見逃してばかりいる。

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 地上の生命は樹木に支えられている。樹木は大気を作り、太陽のエネルギーを生命活動のエネルギーに変えていく。樹木は人間がいなくても存在できるが、私たちは、樹木がいなければ生きることができないのである。

 何億年も前から地上に広がっていた樹木たちと、数十万年の歴史しかない人類と——樹木の存在に依存している私たちは、樹木にはまったく敵わないのである。自分よりも偉大で、しかも自分を支えている他者に、素直に頭を垂れることは簡単ではない。

 マンクーゾは著書『植物は<知性>を持っている』のなかで、次のような印象的な指摘をしている。

 私たちは植物に依存していながら、その事実をできるかぎり忘れようとしている。それは、自分たちの弱さをまざまざと思い知らされるのがいやだからではないだろうか。
——『植物は<知性>を持っている』

 私たちは小さくて弱い。何百年、何千年もの歳月をかけて成長していく大樹の足元を、ただはかなく、忙しなく、横切っていくことしかできない。

 だがその弱さに目を背けるのではなく、弱さのただなかにとどまって、素直に耳を傾けることができれば、私たちの感覚は、閉ざされた人間の一つの尺度から、別の多様な可能性へと解き放たれていく。

 自力ではとても届かない未来に、樹木は手を伸ばそうとしてくれている。私たちは、樹木のようになることはできなくても、樹木とともに生きることはできる。他者とともに生きることは、自分とは別の時間に感覚を開いていくことである。

 人間の時間だけで地球を覆い尽くすことができるほど、地球は単純な惑星ではないのだ。人間の活動が円滑に、順調に加速していけばいくほど、人間の生活の可能性そのものが、足元から不気味に脅かされていく。

 私たちは、自分ではない無数の生命たちが刻む、異なる時間とともに生きていかなければならない。人間が刻む時間のなかに閉じこもるだけでなく、自分とはかけ離れた時間を生きるあらゆる生物たちからも学び続けていかなければならない。

 樹木は静かに、そのための道を、私たちに語りかけてくれているように思える。地上で何億年も生命を繋いできた、私たちの大先輩なのである。遠い過去や未来と接触しながら生きる、その姿を木々は、いまも私たちに見せてくれている。

 一本の木の前に立つ。木の生きてきた時間に比べれば、私はほとんど無になることができる。

 私の身体を、樹木の時間が通り抜けていく。

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紹介された本

 Richard Powers, The Overstory, W. W. Norton & Company, 2018
(『オーバーストーリー』木原善彦訳、新潮社、2019)

 S・マンクーゾ/A・ヴィオラ『植物は<知性>をもっている 20の感覚で思考する生命システム』久保耕司訳、NHK出版、2015

 S・マンクーゾ『植物は<未来>を知っている 9つの能力から芽生えるテクノロジー革命』久保耕司訳、NHK出版、2018