岡部 三知代
公益財団法人ギャラリー エー クワッド 副館長 /主任学芸員
コロナ禍以降、足元の暮らしに目が向かい、食への関心が高まってきた。中でも、「発酵」はブームともいえるほど高い注目を集めている。目には見えないが、私たちの暮らしはいつも微生物とともにあり、食物を育てる土の中でも無数の微生物が、私たちの生命にとって欠かせない働きをしている。しかし、現代の清潔ブームや、効率と安定した品質を求める生産のサイクルのスピードの中で、ゆっくり、時間をかけて作用する分解や発酵などの自然のサイクルは、置き去りにされつつある。
「ワンヘルス」という考えがある。人の健康も家畜を含む生き物や環境の健全性も、生態系の中で、相互に密接に繋がっている一つの大きな健康である。生態系全体が健康でなければ人間も健康ではいられない。
本展で紹介しているオオタヴィン監督の映画『いただきます』シリーズに出演する生産者の畑は、微生物の働きにより、土はミネラルを含んで虫や病原菌に強く、農薬要らずだという。発酵する畑「菌ちゃんふぁーむ」で有機農業を実践する吉田俊道氏によれば、土とお腹は繋がっている…。ミネラルを含んだ野菜を食べていれば、人も免疫力が高まり、病気知らず。実際に、2006年から給食に無農薬の野菜を使い、みそ汁と玄米食を取り入れた保育園では、インフルエンザにかかる子どもの数が激減したという。健全な自然環境は、人の健康をつくる。人も海も土も森も…すべては繋がっている…。その大きな連環には微生物の働きが大いに関わっている。
大きな連環は、私たちの棲家や暮らしぶりにも繋がっている。しかし、現代の都会暮らしの住まいは生き物を排除し、人だけの快適を求めるように設計されてきた。量販される住宅には、日射を遮る庇はなく、室内はガラス窓で密閉され、空調で気温が保たれることを前提に建てられている。冷蔵庫と電子レンジが設えられたキッチンは、明るく衛生的ではあるが、糠床やみそ床をつくるのには不便である。人の営みが生き物と切り離されてしまったように、住まいや風景も自然と分断され、日常の風景は変わってしまった。
ここで紹介した生産者の取り組みは、挫折と成功を繰り返しながらも、分断されたネットワークを現代の暮らしに取り戻し、その使用価値を実証した事例である。彼らに通底する信念は、生き物全体を含む自然環境一体の「健康」を次世代に繋ぐことであり、根源的な「食べる」という文化の継承である。
今、この生産者の行動に触れ、目に見えない働きにも想いを寄せる共感が連鎖を生んでいる。小さな行動が日常の風景を変えるには、長い時間が必要となるだろう。しかし、今、やらなければ未来が変わることはない。