発酵は、食べ物のおいしさや保存性を高めますが、解像度を上げてその工程をのぞいてみると、微生物が最も働きやすい環境を作り出すために、温度や湿度、風の流れなど微細な調整が行われます。蔵には、微生物が発酵するために、生産者が最適な環境を作り出す叡智が詰まっているのです。
約400年前から続く小豆島のしょうゆ生産を見てみると、もろみを木桶に入れた後、窓の開閉を調整することで暖かく乾燥した空気を取り入れ、発酵熟成を進めます。小豆島は、雨が少なく日照時間が長く、空気が乾燥している瀬戸内海式気候です。火成岩によって作られる小豆島の山々、特に寒霞渓(かんかけい)は太陽の熱を吸収しながら上昇気流を生み出し、夜には山が冷えて下降気流を生み出します。そうした地形と海の間に蔵と窓が配置されることで、しょうゆづくりの発酵に最適な環境を作り出しているのです。
ここでは、しょうゆづくりの発酵と建築の関係を図解し、微生物、食べ物、建築、そして風景の連関を描くことを試みます。
3章制作:正田智樹 取材協力:ヤマロク醤油
正田 智樹
日本では、地域ごとに多様な暮らしがあり、それぞれ異なる風景が広がっている。地殻変動によって形成されてきた様々な地質や地形は、風や雨、雪、気温、湿度の違いをうみ、地域ごとの気候に特徴を与えている。暮らしの一部である食を生産することは、各地で異なる自然と建築の協働により行われてきた。
例えば、柑橘類や稲作は、太陽と水捌けに配慮し斜面地に石を積み、段々畑や棚田をつくる。柿や大根などの干物は、風通しに配慮し軒下に吊るしたり、ウィンドキャッチャーや、三角櫓(やぐら)などの仮設物をつくる。日本酒やしょうゆ、みそなど発酵をともなう食は微生物が活性化するための環境条件を整え、蒸米を冷やすなど、風向きに配慮し蔵を配置し窓を設ける。食ごとに自然との協働の方法は異なり、風景はつくられてきた。
本展で紹介する小豆島のしょうゆ生産は、寒霞渓(かんかけい)の岩山と海の間の気温変化により発生する風(海陸風)の通り道にしょうゆ蔵を配置し、窓から取り込むことで発酵と熟成を進めている。こうした小豆島のしょうゆ蔵の知恵はヤマロク醤油に限らず、醤(ひしお)の郷に点在する多くのしょうゆ蔵で見ることができる。このように、特定の工程に見られる自然と食の生産を結びつける建築の実践は人々の知恵として繰り返されることで、地域固有の風景となるのである。
しかし、食をつくることから暮らしは離れ、私たちは普段口にするものがどこでどのようにつくられたかわからない。都市部での人口増加は、どの場所でも同じものを安定的に大量に生産することを求めた。その結果効率的な機械生産により微生物を活性化し、食べ物を乾燥するための環境条件が人工的につくられ、場所や季節を問わず、同じもの同じ味が生産できるようになった。自然と食の生産を切り離すことは、風景を失い、人々が持っていた知恵やスキルを失ってしまう。
こうしてつくられた食べ物で暮らす私たちは、完全に機械生産を否定することはできないし、全て自然との協働による生産方法にもどることはできないだろう。しかし、自然と建築を結びつける工程をつぶさに観察することで、どの工程であれば自然と建築を結びつけられるかが明らかになるだろう。人々の暮らしや微生物、食、建築、地形、地質、風や光といった自然の連関を描き、その風景を理解すること。そうした試みを続けることで、今後食の生産を行い、また気候変動による生産地の移転が起こった際にも、食とその周縁の連関を維持し建築をつくることで、いきいきとした風景は更新され続けるのである。