奥村まこと:生きることとつくること

村上 藍
『奥村まことの生涯とその設計』著者

生涯にわたって建築と向き合い、自らの設計手法を確立していった奥村まことは、自身のことを「町医者のような建築設計や」と称しています。それは、建築家として作品をつくるというよりも、目の前にいる施主の生活の延長線上にある家をつくるという立場で設計をしていたからかもしれません。
まことの「町医者のような」建築家としての仕事は、生活の一部であり、彼女のユニークな生活もまた、仕事の一部となっていました。

吉村事務所時代に培ったスケール感覚を基本としながらも、日々の生活の中で育まれた独自の設計手法によってつくられた建物は、心地よい空間でありながらも実用的で、理にかなった工夫が多くなされています。まことの設計した建物は、建築家としての徹底的な積み重ねだけではなく、彼女の生活の試行錯誤が凝縮された空間なのです。
まことの生活と仕事は、「百聞は一見にしかず、百見は一試にしかず」という考えに基づいていました。生活の中でも仕事に活かせることはないかと、夫・昭雄とともに自宅を実験の場としてさまざまな試みをしています。気になることは実際に自分の目で確かめ、実体を伴った経験を大切にしていました。こうした飽くなき探究心は、設計活動にも大きく影響を与えていたことでしょう。
また、まことの日々は、常に昭雄とともにありました。彼女は昭雄と自身のことを「『考える人』と『つくる人』のコンビ」と称し、何をするにも二人で一緒に行い、同じ目線でものを見ていました。お互いの長所も短所も分かり合っていた、まるで二人で一人のような関係性でした。
まことの暮らしぶりからは、彼女の生活の心得を見ることができます。ことあるごとに替え歌をつくっては歌い、美味しいものに出会えば自分で作れないかと試し、もったいないものがあれば何かに使えないかと考え、人が集まれば誰彼構わず料理をふるまいました。自らの心の声に素直に従い、面白く、そして楽しく生きようとした独創性あふれる生活は、生きる喜びへと結びついています。その喜びを周囲と共有することを惜しまなかったまことの優しさや心づかいは、生活と仕事の垣根を超えて、彼女と接する多くの人々を包み込んでいました。

誰か一人を特別扱いすることのなかったまことは、仕事においても常に対等に接することを大切にしていました。きっと、ちひろのことも特別扱いをすることはなく、対等に接していたことでしょう。黒姫山荘の設計後、自邸の増改築や伊豆・熱川の別荘の依頼もしていたちひろは、そんな姿に信頼を置いていたのかもしれません。

ちひろとまことが共に過ごした時間は多くありませんでしたが、同じ時代を生きた二人が共鳴したことで、黒姫山荘は生まれました。本展では、その二人に共通する強さや優しさを見て取ることができるのではないでしょうか。

木曽三岳奥村設計所・中村橋 / 1997©Eiji Kitada
木曽三岳奥村設計所 / 2003©Eiji Kitada