いわさきちひろの生活と仕事

松方 路子
ちひろ美術館学芸員

画家、いわさきちひろは絵本をはじめ、絵雑誌、教科書、広告などの幅広い印刷媒体のために絵を描きました。その作品は図書館や学校、街角で、あるいは家のなかで、これまで多くの人の目に触れてきたことでしょう。描かれているのは彼女が少女時代のころから好み、得意としたモチーフである、子どもたち。ちひろの作品が今見ても古さを感じさせず、懐かしいのに洗練されているとすれば、それは、彼女が何枚ものスケッチやデッサンを行い、西洋や日本の美術からさまざまなものを吸収してきたことが、仕事に表れているからではないでしょうか。「この全く勇ましくも雄々しくもない私のもって生まれた仕事は絵を描くことなのだ。たくましい、人をふるいたたせるような油絵ではなくて、ささやかな絵本の絵描きなのである」と彼女は記しています。しかし既に駆け出しのころに、新聞のインタビューで「出版社から絵の線がボヤけているから、ここをこうなおせなどといわれるんです。その通りに描いていれば、たしかにお金は入りますが、私は妥協したくないのでことわりました」と話しており、ちひろが画家という仕事に誇りをもっていたことが分かります。

ちひろの生活はどのようなものだったのでしょう。かつて、仕事は男性のもの、生活(家庭)は女性のものと捉えることもありましたが、本来生活と仕事は切り離せないもの。家のなかのアトリエで仕事をしていたちひろは、「夫がいて子どもがいて、私と主人の両方の母がいて、ごちゃごちゃのなかで私が胃の具合が悪くなって仕事をしていても、人間の感覚のバランスがとれているんです。そのなかで絵が生まれる。大事な人間関係を切っていくなかでは、特に子どもの絵は描けないんじゃないかと思います」と語っていました。画家であると同時に妻であり、母であり、一家を切り盛りするリーダーでもあった彼女にとって、絵に専念できる部屋・アトリエは貴重な場所でした。1966年、奥村まことが設計し、黒姫高原に建てられたアトリエ兼山荘は、東京での生活を離れて自然に囲まれて仕事をできる貴重な空間であり、ちひろは「ここで仕事するの大好きなの」「この家を設計してくださったのは女の方なの。だから、台所もとっても使いやすくできているのよ」と同行した編集者に語っています。黒姫山荘では、仕事の合間に、外の山を散歩して花や蕨(わらび)をとってきたり、家族が来たら野尻湖やスキーに出かけたり、と特別な時間を過ごしました。

そして、彼女とともに暮らす夫、弁護士、国会議員であった松本善明(ぜんめい)の存在を忘れてはいけません。ちひろは、「二人の生き方は大きいところで一致しているので、ずいぶんちがった仕事だけれど、お互いの生活をたいせつにするようにしています」と述べており、ふたりの信頼・愛情関係は、彼女を精神的に支えました。

いわさきちひろと奥村まこと、ふたりの強くてやさしくてたのしい女性たちの仕事と生活をご覧ください。

自宅アトリエにて / 1968年,所蔵:ちひろ美術館
下石神井の新居予定地にて / 1951年11月27日,所蔵:ちひろ美術館