展覧会に寄せて

白川 裕信
公益財団法人 ギャラリーエークワッド館長

本展は絵本画家 いわさきちひろ(1918-1974)と建築家 奥村まこと(1930-2016)、二人の女性の生き方に焦点を当てています。青春時代に戦争を体験し、終生平和を希求し、自らの意思で人生を切り拓き、一人の子どもを育てながら家庭生活にも仕事にも全力投球した二人です。

いわさきは旧姓で、岩崎知弘という漢字が当てられています。その名を背負うように、生き様は知性に溢れ、たくましいものでしたが、絵はとてもやさしく、心を癒してくれます。淡く繊細な彩色と省略技法にその秘訣があるのでしょうか。生い立ちを辿ると、14歳の時に洋画壇の重鎮 岡田三郎助に師事し、後に書を小田周洋に学びます。これらの経験を通して、対象をよく観察し本質を掴み取る修練を積んだことは、年代を追って抽象的になっていく ちひろの子どもの描写に活かされていると思います。

まことは自由学園の教育を通して「自分と人とを比較採点しない」という信条を持ったそうです。東京藝術大学建築科の女性第一期生で、その後吉村順三設計事務所に約19年間勤務し、退所するタイミングで設計事務所を立ち上げ、夫の奥村昭雄とともに建築家として生涯現役を貫きます。住宅の設計が主で、後年「町医者のような建築設計や」と自称したそうですが、生き様、価値観を的確に捉えた自己洞察だと思います。発注者に寄り添い、暮しを支える器づくりを住宅設計の理想としていたのではないでしょうか。自著『吉村先生に学んで』の中で、創る力を得るために「良く見る」ことの大切さを第一に挙げていますが、ちひろが学び実践したことと重なるのは偶然ではないと考えます。

1965年、ちひろは何人かの児童文学関係者等と黒姫高原に土地を購入します。翌年建てたアトリエ兼山荘の設計をまことに依頼したことが二人の出会いです。「黒姫山荘」と名づけられたこの建物からは野尻湖が臨め、周囲を山々に囲まれ、四季折々の豊かな自然がご馳走の特別な場所でした。少し遅い春の訪れを待って顔を出す すみれの紫は、ちひろにとって黒姫の心象風景の中でも、また画業全体に及ぶモチーフとしても重要なものでした。

建物の特徴の一つが開口部のデザインです。ちひろの拘りで、外の風景を眺めるための窓は床面まで開放されています。まことはこれに加えて建具の小口に引き手を付け、全て戸袋に収納できるようにして、室内がより開放的に外気と触れ合うことが出来るようにしています。更に、部屋同士が回遊性を持ち、空間の広がりに視覚的な強弱をつけていること等も吉村流設計手法の継承と言えるものだと思います。当初平屋建てだった山荘は、周囲のカラマツが成長して野尻湖が見えなくなったために、まこととは別の手で2階部分が増築されています。

黒姫の新鮮な空気を体にしみ込ませ、四季折々の自然の息吹を丁寧に写し込んだ作品、『あかまんまとうげ』や『花の童話集』などがこの地で生まれています。

公私にわたり信念を貫いた二人、女性として、自立した一人の人間として、その生きざまを資料や関係者の証言を交えて辿ります。
最後になりますが、第119回目の企画展開催にあたりご支援、ご尽力いただきました皆様に深謝申し上げます。