千田泰広展 付記

岡部 三知代
ギャラリーエークワッド 主任学芸員 / 副館長

ここに企画から制作の過程に千田と会話した幾つかの覚え書きを残したいと思う。
展覧会開催中と聞き、すぐに松本PARCOの屋上に設置された『Brocken 5』を見に出かけた。
ビルの谷間からさす午後4時の日射しが、無数の穴の開いた鉄板のキューブの中に線を描いていた。真っ暗な室内で焚かれ揺らぐ霞が、ピンホールから入る日射を集め、点が線となり一瞬の整列を見せる作品である。
千田は、とても科学的なアプローチで、現象を可視化し、後から沸き起こる情感との間を行き来しながら、虹を見せるような爽快感で観客を沸かせる。
無いものを感じ取る心(情緒)を呼び覚ます(覚醒)装置のようだ、と思った。
ある時、光を素材とした自然現象を見せる方法を思いついたのだと思うが、制作には限りない時間と手作業と労働の積み重ねがうかがわれた。その幾層にも労力を積み重ねる純粋な行為は、見る側の一瞬の閃きと共に、何もなかったようにかき消され、再生を繰り返しながら作家から離れ、見る人の情感に委ねられる。
その、ひたすらな労力を突き動かすものについて尋ねた。すぐに岡 潔の言葉を添えて答えが返ってきた。

「私は数学なんかをして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだと答えて来た。私についていえば、ただ数学を学ぶ喜びを食べて生きているだけである。」(岡 潔/数学者)

彼は、なぜ今生きているのか?複雑な社会や多様性の中で、ひとつの個として存在していることの自分への問い、が全てのモチベーションだという。彼は時間があれば登山をし、時にはアイスクライミングもする。自らの身体で疑問にぶつかり、物事を知覚しようとする。身体感覚が伴わない理解はない。

今回展示した『0.04』にみられるような素材(水)のリアクションを積み重ねる作品からも、底果てない好奇心の広がりを感じる。この世界=宇宙の法則への好奇心、素材とは何か、それは視界の外で起こる無意識へのいざないでもある。深い森を意味する『Myrkviðr(ミュルクヴィズ)』もまた、宇宙の点ですらない星の上の自らの存在の不思議を表す。生命体が、理論や観測によって宇宙の外にまで意識を到達させることへの驚嘆であり、敬意を示している。
千田は、チェコ最大の芸術祭SIGNAL(2016)で作品『Brocken 5.1』を出展し、日本人初の参加を果たした。その後、アムステルダムのライトフェスティバル(2017)に参加し注目を浴びる。現在では世界の芸術祭や美術館からのオファーが絶えず、海外での制作がほとんどだ。国内では、長野県辰野町と連携し、自身の美術館を備えたファブラボの建設に取り組む。地域市民に開かれた、工芸から音楽まで含むものづくりの実験スペースで、すでに海外アーティストや世界トップクラスのレストランシェフに協力を呼び掛けている。

千田は、重苦しく複雑化した社会の生きづらさから、芸術というフィールドにより解放されたと話してくれた。身体と意識を研ぎ澄まし、時には極限まで自らを追い込み、地球を歩くように生きる彼にとって、1秒で30万キロ進んでしまう光は、永遠に魅きつけられる存在であろう。人は、なぜ赤子のときから光に魅かれるのか、今ここにある意識とは何なのか、知覚と時空への興味は尽きない。素材の振る舞いに耳目を澄まし、情緒が立ち昇る、その瞬く間の視界の外の光は何色なのか…。それはもう、他者に委ねるしかあるまい。