お高いところから失礼します
淺川 敏 写真家
都市の写真を撮るのは日常的な行為。いつもカメラ担いで街を貪り歩いている。
さて今回は「写ルンです」片手に如何致しましょうか。ちょっと背伸びをして見ましょう。豚もおだてりゃ木に登る、ということで高いところから高飛車に鳥瞰的に東京を眺めましょう。ということでオープン前には何度も通った東京で一番高い建物「スカイツリー」からまずぱしゃり。誰もが行ける展望コーナーがある建物を探しながらぱしゃりを続ける。そして東京の西のはずれの山、御岳山の展望台に行って最後はぱしゃり。お後がよろしいようで。
荒俣 宏 博物学者
昭和末期以来、久しぶりに「写ルンです」を使ったら、よく写らんかったし、デジカメ半押しの癖が邪魔して、無駄うちさせられたよ。阿佐ヶ谷の5月5日、住宅街から駅周辺、裏道飲み屋横丁と歩いて、なつかしい釣り堀を再発見したのを機に、しばし釣り師に転向。最後に、中々他では見かけない「鬼師」の店もせっかくだから記録しといた。この鬼瓦屋もなかなかしぶとい。そうそう、これは令和元年の、うららかな一日の記録にもなるな。
消えていく昭和の風景
五十嵐太郎 建築史家、建築評論家
送付してもらった「写ルンです」が見当たらなくなり、街で購入しようとしたら、どこにもなく、ようやく有楽町のビックカメラで発見。まず、その事実に時代も移り変わりを強く感じた。そういうわけで写真は、有楽町、丸の内から始まり、秋葉原や後楽園、池袋を挟み、最後は大手町のエリア。
東京駅周辺の風景も、一気に高層化し、平成時代に劇的に変容したことを改めて痛感する。一方で大正の東京駅や明治の三菱一号館などが過去の姿で蘇るという逆の状況が発生した。消えていくのは昭和の風景である。
都市の隙間から
池田晶紀 写真家
「写ルンです」というカメラは改めておもしろいカメラでした。ゴールデンウィークに家族と新緑を楽しむため、新宿御苑にお出かけ。写真家であるぼくにとって、ポケットに入るサイズで軽すぎるこのカメラは、むしろ扱いには慣れていなく、試されているようでそこがおもしかったです。自分のいるところにいつも一緒にいられて、そこに写った写真が思い出となる。とてもシンプルで大事なことが、このカメラではみんなに平等に出来ちゃうのですね。今回のこの写真は、新宿御苑という都市の中で自然を感じられる場所。自然の隙間から見えてくる建物。そんな遊びをテーマにしました。
下から見た新宿と上から見た新宿
池ノ谷侑花 写真家
新宿という都市を眺めてみる。
新宿である理由は特になく、とにかく高い場所から
都市を見下ろそうと思い立ちました。
俯瞰してみてみると、あの建物はなんだろうか?とか、
案外、緑が多いものなんだ!とか、いろいろなことを思いました。
そうやって観察するように写真を撮った時間です。
それはとても有意義な時間でもありました。
石川直樹 写真家
春の一日、改修中の国立競技場や国立劇場、帝国ホテルのあたりを散歩した。カメラを持って歩いていると、つい路上の奥へ奥へと入ってしまう。全体としての東京の輪郭は変わらないが、部分は常に変化し、蠢いている。ぼくにとっての東京は、相変わらず色が固定されない無色透明な街のままだ。
「哲学堂」
エバレット・ケネディ・ブラウン 写真家、湿板光画家
撮影した場所は中野区にある哲学堂。哲学者の井上円了が人々の精神修養のため、ソクラテス、カント、孔子、釈迦を祀って「四聖堂」を建設したのがこの公園のはじまりである。今の時代には、珍しい試みでしょう。
現代人の私たちは、このような佗しいところを見失いがちです。これをきっかけに、久しぶりに訪れた。園内を歩くと文明開化時代の面影が見事に味わえる。
東京の忘れられた建築文化遺産として、ここに注目したい。
忠太と昌二と日本の近代
大西若人 朝日新聞記者
撮影は改元のGW、かつ展覧会ではモダニズム建築も扱われると知り、日本の近代を建築から再考することにしました。更地に近づく築地市場跡からスタート。伊東忠太の築地本願寺などを選んだのは、近代で忘れがちなアジアの存在を確認する意図からです。モダニズム建築も撮ろうと、先日ドラマのロケに使われていたパレスサイドビルへ。近くには皇居も旧九段会館もあって、しかもたまたま一般参賀の日。近代日本を思いつつ、最後もドラマに登場した歩道橋から汐留の超高層群です。
Time out
大巻伸嗣 美術作家
毎日通っている上野のまちを、2019年と2020年の間に起こりうるであろう変化を想像しながら歩いてみた。歴史的な背景を持った建築、見過ごされてしまっているような記念碑、すでに撤去されることが決まっている設備、パブリックビューイングのためのスクリーンの設置が予定されている場所。整備あるいは排除によって、変わりゆくまちの景色に思いを馳せ、それぞれの場所が持った記憶を留めたいという思いで写真に収めた。
かつての大怪獣は円熟期を迎えた
小川重雄 写真家
保育園児だった頃、近所の上野動物園へ徒歩で遊びに行くのが恒例でしたが、途中に異様な迫力の建築がありました。それが当時竣工したばかりの東京文化会館だったのです。コンクリートのザラザラした肌合いの造形は幼児の眼には怪獣のようで、足下を通るだけで怖かったのです。その建築原体験を追想するのが今回のテーマです。数度の改修を経てすっかり穏やかな表情に変わりましたが、文化の杜・上野のシンボルとして健在でした。
ゴールデンウィーク
加藤文俊 慶應義塾大学 環境情報学部教授
平成から令和へと、時代が変わった。そのようすをとらえておこうと思い、まずは一般参賀の日に皇居界隈へ。青空のもと、しばらく行列に並んでいたが、途中であきらめて新宿へ。新宿も、かなりの賑わいだった。なんとなく、いつもより人びとはいきいきと見える。いささか、騒ぎ過ぎているのかもしれない。こどもの日には、船上から東京を眺める機会があった。変わっているようで、変わらない日常。誕生日に、すべて撮り終えた。
すみだ路地裏曼荼羅~焼け野原からカオスへ
久米信行 墨田区観光協会 理事
郷里の墨田区は関東大震災と東京大空襲で焼け野原になりました。再建途上で、町工場がマンションに、狭小住宅がペンシルビルに変貌。駅前や大工場跡地は再開発が進み、博物館・美術館・コンサートホール等の建築で街が一新されました。一方、古い商店街・料亭・工房も健在で、路地裏には古民家カフェ・雑貨店・エスニック料理店が増殖中。何でもありのカオスな雑種共生力がイーストトーキョーに若者や子育て世代を呼び寄せています。
2019年春、東京
小池百合子 東京都知事
春の魅力に溢れ、オリンピック・パラリンピックの準備が着々と進む東京を、職員とともに撮りました。奥多摩の美しい自然、建設の進む競技会場、開場から半年の豊洲市場、そして多くの人で賑わうお祭りの風景。穏やかな春の日差しの中、多くの人々の思いを乗せて東京は動いています。都庁の展望室には、都民から寄贈を受け、草間彌生さんにデザインして頂いた可愛いピアノがあります。
皆さんもぜひ弾きに来てください。
東京の出入り口
菅沼比呂志 インディペンデントキュレーター
撮影エリアが広かったので、まず考えたことは、どこで何を撮影するかだった。金曜日の武蔵野美術大学の授業の後、私は北関東の実家に戻り、その帰りによく上野駅を利用する。そこで今回は、私にとっての“東京への出入口”、武蔵美と上野を撮った。GW直前の武蔵美は、あまりにもひっそりと静まりかえっていた。上野駅では東北からの玄関口だった頃の名残を探し、近くのアメ横にも足を伸ばした。そこは海外からの観光客で溢れかえり、様変わりしていた。
東京、崖っぷち
鷹野隆大 写真家
東京は起伏の多い街だ。今回は神楽坂周辺を歩いた。崖下にある市ヶ谷駅(写真1~5)から神楽坂方面へ坂を登ると(写6)住宅街が広がる(写7-9)。そこには鰻の寝床のような土地を塀で囲った一角があった(写10,11)。神楽坂商店街は丘のヘリにあり、その向こうは急勾配の坂になっている(写12-17)。坂を下ると印刷所(写真18)が目立つ町工場の街に。本の取次大手トーハンの立派なビルも聳えていた(写19)。すぐ側には神田川(写20)。
山の方を向いてみる
多田君枝 コンフォルト編集長
「講中(こうちゅう)」の人たちは霊山を参拝し、神社の御師(おんし)は山を下りて各地の講をまわる。御岳山の武蔵御嶽(むさしみたけ)神社では、江戸時代からそんな習慣が続いている。宿坊である東京都指定有形文化財、馬場家御師住宅は江戸末期の創建。ここを訪れると、この山の中こそが文化の集積地だと実感する。『オオカミの護符』の著者、小倉美惠子さんは「昔の人は山を向いて暮らしていた」と言う。現代とはまったく逆だが、その感覚を想像してみるのもおもしろい。
行幸通り
土田ヒロミ 写真家
東京駅丸の内側の中央に天皇、皇后両陛下や国賓、公賓、皇族などが東京駅をご利用になる正面玄関口から、皇居に直線で結ぶ「行幸道り」を桔梗門前の堀ぎわをスタート起点に、東京駅正面玄関口に向かって26等分に区切り、東京駅を目指し16時15分に撮影開始。一区間に5分毎に一枚撮影。最終地点は、18時15分。夕日が皇居に沈む直前に終了。道中、私の影が道に伸び、夕日が中央のガラスに沈んだのは予測していなかった。この撮影から、明治から大正(?)、昭和、平成、令和(建設中)のビルが写り込んできているはずなのだが、、、。
霊園で逆立ちする内井昭藏
橋本善八 世田谷美術館学芸部長
多磨霊園に多磨霊園納骨堂という建物がある。外壁がオーバーハングし、円錐形が逆立ちして地中にめりこんでいる。設計者の内井昭藏によれば「胎内化されたミクロコスモス…あの世はすべて現世の逆」が発想の原点にある。世田美の設計者である内井が美術家・関根伸夫と創った空間。まず、ここに身をおき、あとは小さくなって眠る人々を訪ねた。墓地というとちょっとコワイが、霊園とはよくできた言葉だ。それにしても多磨霊園は広かった。
自己組織開発 Self Organization Development
藤元 明 アーティスト
撮影された場所は、2020年の東京オリンピック・パラリンピックのシンボルとして新たに建設されるものや、修復を待つレガシー建築・首都高、そして開発される街の景色である。常に工事中である都市はよく生き物のようだと例えられる。東京という生き物は、統合された意思はなく、細胞が自己組織化するように積み上げられてきた。頭のないこの生き物は、一体どこに向かっていくのだろうか。
東京を空から50年のタイムトラベル
真鍋 真 古生物学者
2019年に復刊された「鳥の眼」。イラストレーター真鍋博の50年前の航空写真の視線を、私は高層ビルから点と点を結ぶように辿ってみた。高層ビルが林立していて、意外に視界は開けない。50年前には姿を消していた丸の内のロンドン一丁。いまは三菱一号館が復元されている。新宿の損保ジャパン美術館ではアトリエ船でフランス各地を旅して絵を描いたドービニー展が開催中。私も気球に乗ってもっと東京を眺めてみたい。
通過都市・新宿のたわいもない風景の記録。
森山開次 ダンサー、振付家
カメラを片手に、新宿の街を歩いた。特に思い入れがあるわけではない。ただ、私にとって最も身近な大都市・新宿。どこへゆくにも、この都市を経由していることが多い。ここを目的としているわけでもなく、ただ通過している都市を、片目を閉じて、あらためて覗く。覗いて初めて見える風景。写真を現像して、初めて見える人の姿。1日目はあいにくの雨。2日目は、ビルの隙間に太陽の光が差し込んでいた。
A Glimpse for 民間人
リサ・ヴォート 写真家、明治大学特任教授
「記憶する」がテーマの企画。都心のオリパラ mood からは遠い世界。But, North TOKYO. 昭和に created 米軍基地には many 残して欲しかった建築物がありました。Most of the buildings は平成に建て替えられ、過去の structures や atmosphere は刻まれているonly in memory. 令和元年に存在している平成の風景を写真に残す機会を与えていただき thank you very much. いつの日か、these photos が “a page in the history of this land ” として people がreflection することを image しながらシャッターを押しました。かつては designful/colorful な world でした。今は プレーン beige/brown. 未来は?
*Glimpse = 垣間見る