Ⅳ  ヌードとはだか「ヌード」と「はだか」は違うという論理で街に出現した裸の彫刻は、本当は裸ではないのか。

股間若衆

典型的な曖昧模っ糊り

典型的な曖昧模っ糊り (赤羽駅前) 

男性裸体彫刻は、女性裸体彫刻と違って、股間表現に苦心がいる。しっかりつくるとそこにばかり目がいくし、何もつくらなければ不自然だ。明治初年に西欧の美術教育を導入して以来、美術家たちはこの難問に取り組んできた。画家には抜け道があった。身体をよじったり、股間の手前に何かを描けばよいからだ。一方の彫刻家はそうはいかない。三次元で身体を表現する際のその手っ取り早い解決策が(これも西欧に学んだことだが)、『旧約聖書』由来の葉っぱで覆うことだった。しかし、日本にアダム像は必要とされない。結果として、股間表現を曖昧にしたり(曖昧模(あいまいも)っ糊(こ)り)、極限まで切り詰める(ほとんどミニマルアート)技術が磨かれた。

ルシウス顔出し看板の注意書き

東京大学文化資源学研究室に現れたルシウス

東京大学文化資源学研究室に現れたルシウス 撮影:進藤環 

二〇一二年、ヤマザキマリ「テルマエ・ロマエ」の映画化を機に書店に出現した。ルシウスの腰のあたりに、小さくこんな文字が記されている。「*もし必要な場合、同送の手ぬぐいを腰に回して貼ってください。」。股間に思い切り顔を近づけないと気づかない。「必要な場合」とはどういう場合か?添付の手ぬぐいは手に入れそこなった。二作目の映画「テルマエ・ロマエII」(二〇一四)封切りの際には、便器に座って読書するルシウスも出現した。

裸の王様は裸じゃなかった

左:幼児向けの『はだかの王さま』はほとんどパンツ一丁 右:『アンデルセン童話名作集』

右:『アンデルセン童話名作集』筑摩書房、1955年では丈の長いシャツを着ていた
左:幼児向けの『はだかの王さま』はほとんどパンツ一丁

アンデルセンの『裸の王様』(一八三七)はタイトルが秀逸だから一度聞いたら忘れられず、かつ誰もが裸で歩いている王様を思い浮かべる。ところが、王様は裸ではない。それどころか、原題は『皇帝の新しい衣装』であり、王様が上着を着ず下着だけで歩いていることを問題にした本なのだ。それにもかかわらず、王様のさまざまな「裸」が描かれてきた。早くも明治四四年(一九一一)には「全裸の王様」が登場している。日本社会における男性裸体像のひとつの浸透。

敗戦国日本の新しい衣裳

上:〈市川紀元二像〉 下:〈愛の像〉

上:〈市川紀元二像〉東京大学を追われ静岡護国神社に移設
下:〈愛の像〉(東京駅前)

戦争に敗れると軍人の銅像が町から姿を消し、代わって裸体彫刻が登場した。軍服を脱いで、新たに身にまとった衣装が「ヌード」だった。皇居のお濠端、三宅坂の角地にあった寺内正毅陸軍元帥の騎馬像が載っていた台座に、三美神が姿を現したのは昭和二六年(一九五一)のことだ。東京駅前の「愛」はBC級戦犯で刑死したひとたちの慰霊碑で、軍服を脱いだ姿は本来の人間に戻ったことを示している。戦場に散った学生たちを悼む慶應義塾大学の「平和来」、東京大学からは設置を拒否された「わだつみの像」が全裸であることも同じ意味だった。