本郷の文化をめぐる

本郷は東京大学をはじめ、出版社や研究所等が多く存在する文教地区となっています。周辺には歴史的建造物や文人ゆかりの地が多く、明治から昭和にかけての街並みを感じさせる景色が残っています。また、坂の多い地形も見どころの一つです。ここでは現在の本郷の姿をめぐってみましょう。

菊坂周辺
菊坂は本郷の中でもかなり長い坂です。『御府内備考』によると、周辺に菊畑があり、菊花を作る人が多く住んでいたことが名前の由来となっています。
また、菊坂には旧伊勢屋質店があり、近くに暮らしていた樋口一葉が生活に困った際に度々通ったといわれています。
菊坂に接する梨木坂を上ると、鳳明館本館があります。明治30年代に下宿屋として建設され、昭和初期に旅館へ改造されました。国登録有形文化財となっており、現在も宿泊することが出来ます。               

旧伊勢屋質店
鳳明館本館

文人ゆかりの地
東京大学がある本郷には、昔から多くの文人が暮らしていました。鐙坂の上にある木造建築は、言語学者である金田一京助とその長男春彦が暮らしていた旧居跡です。金田一京助は東京帝国大学言語学科を卒業し、昭和17年(1942)から同大学で教鞭を執りました。
菊坂下には樋口一葉が暮らしていました。幼少期は赤門前にある桜木の宿に住んでいましたが、住居を転々としていました。厳しい生活を送りながらも小説家を目指し、『闇桜』『たま襷』『別れ霜』『五月雨』などの作品を発表しました。

金田一京助・春彦旧居跡
樋口一葉旧居跡周辺

歴史的建造物
現在東京大学がある場所は、江戸時代、加賀藩前田家の上屋敷でした。赤門は文政10年(1827)、十一代将軍徳川家斉の娘である溶姫(ようひめ)が、前田家十三代斉泰(なりやす)に嫁入りをする際に造られた門です。当時の正門が黒かったことに対し、朱の漆塗りであったため、赤門と呼ばれるようになりました。
求道会館は、ヨーロッパの教会と日本の寺社建築の様式が融合した建築です。竣工は大正4年(1915)、設計は建築家の武田五一です。浄土真宗大谷派の僧侶近角常観(ちかずみじょうかん)の信仰を伝える場として使われていました。

赤門(旧加賀屋敷御守殿門)
求道会館