佐々木邸の鑑賞の壺
1. 間取りを変えた新しい住み方
昭和の家とそれ以前の家は、間取りに大きな違いがあります。従来の家では部屋どうしが田の字型に接しており、ある部屋に行くには、ほかの部屋を通って行かなくてはなりません。しかし、こうした間取りではプライバシーがないなど、いろいろな問題が発生してきました。そうしたことを解決するために、廊下というものが住宅の中で重要なものとして取り入れられました。プライバシーを尊重する新しい生活感覚が、日本の家を変えていったのです。
2. 洋室には 新しい時代の空気が
昭和の家でしばしば見られる、玄関脇の洋室。家ごとに思い思いの装飾をほどこし、大正から昭和にかけて、家の一部に洋風を取り入れることが流行します。モダンな生活への関心の高まりを、洋室が表現していました。佐々木邸では洋室は主人が書斎として使用し、主人の来客の応接にも供されていました。
3. 健在、伝統の日本間
客間は、その家の客を迎える表向きの部屋。二間の床の間を有し、掛け軸や壺など季節ごとにしつらえも整えます。一方茶の間は、主人をのぞく家族が一日のほとんどを過ごす場です。佐々木邸では、茶の間で食事をし、隣りの居間は家族の団らんや子供の遊びのために使われ、夜は寝室にもなりました。
建物概要
同潤会江古田木造分譲住宅
「佐々木邸」
木造平屋建
1934年(昭和9年)竣工
所在地 :東京練馬区
用 途 :専用住宅
設 計 :同潤会
施 工 :間組
敷地面積:約147坪(約486㎡)
延床面積:約31坪 (約104㎡)
旧同潤会江古田分譲住宅佐々木邸について
同潤会発足当初、都心部には鉄筋コンクリート造の賃貸アパートメントを、郊外には田園都市をめざして木造の普通住宅が建てられました。しかし、その普通住宅が、長屋形式だったことと、立地が不便な場所だったことから評判は良くはなかったと言います。その普通住宅の反省のもとに立地の良い郊外に、ある程度の所得のある勤め人向けの低密度庭付き戸建ての木造独立住宅の建設と分譲をはじめ、東京、横浜、川崎の20箇所に1箇所あたり数十戸の塊として、約30坪前後の規模の木造住宅が、1928年(昭和3年)から1937年(昭和12年)まで総計524戸建てられました。
「佐々木邸」は、1934年(昭和9年)に一街区30戸分譲された江古田地区に、ほぼ当時の姿のままに現存する住宅です。この街区には30戸の住宅が建てられましたが平面パターンは14通りも考案され、理想の住まいや街区への試行錯誤を重ねていたと言えます。
敷地は建坪の4倍以上(つまり建蔽率25%以下)を標準とし、将来の増改築が行えるような広い庭と建物周辺に採光や通風を確保できる十分な余裕を確保しています。
平面形式を多様にしたことにより、建物と道路の距離に変化を与えることが可能となり、街区全体の景観が単調になることを防いでいます。玄関や門扉にも変化を持たせ、屋根形状も巧みに変化させるなど、住宅地全体の景観が単調になるのを防いでいます。
「佐々木邸」は、街区の南西隅の区画に建つ住宅で、間取りは玄関ホールの直ぐ脇に洋風の応接室、中廊下が伸び突き当りが茶の間になっています。中廊下の北側には女中室、便所、浴室、台所が配されています。南側には広縁を持つ座敷(客間)、茶の間の続き間として縁側をもつ居間があり、いずれも「雨戸」「ガラス戸」「網戸」「障子」を設え、四季折々の環境に対応しています。 洋間は大壁造りで、巾木、付け鴨居、付け柱があり、床は木のフローリング、壁は粗面仕上げ、天井は当時の新建材フジテックス貼で凸凹に貼り、アール・デコ風になっています。客間は居間や茶の間とは異なりグレードの高い二重廻縁、猿頬天井、台所は造りつけの食器棚、流し、ガス台、調理台等がコンパクトにまとめられ、流し前の出窓や上部の窓により、十分な明るさと換気が確保され、衛生的で機能的な空間になっています。分譲当時は夢のモダンな庭付き一戸建て住宅であったと言えましょう。