「おや、こんな処にも美が・・・」の「美の壺」が宗教芸術を切るとなると素朴な信仰に寄り添う美になります。
でも祈りには上下貴賤はなくつたない仏やイコンにも深い美をたたえたものが沢山ありました。棟方志功を挙げるまでもなくむしろ洗練されない祈りこそ人の心に迫るのです。様式に囚われるな、自由な表現にこそ価値をという質(たち)の物言いも、時に祈りの前には色褪せます。
謙虚に様式にのっとるときに(自我を捨てるときに)、祈りはもっとも深く人を輝かせたりするからです。
鑑賞の壺
「長崎の教会に忍ぶ美あり」長崎
「聖なる光とともに祈る」キャンドル
「金の線が作る光と影」截(きり)金
「富士は水と共に輝く」私の富士山
「昼の捧げもの夜の捧げもの」夏の灯籠
「仏にひとり向き合う」京の奥座敷