日本の棟梁 ― 古代工匠の技と心を伝える ―
「棟梁は、全体を見わたせる位置にいなければならない。」

小川三夫(おがわ みつお)

昭和22年生まれ。栃木県出身。高校の修学旅行で法隆寺を見て感激し、宮大工を志す。古代工人の技と心を受け継ぐ最後の宮大工と称される法隆寺の西岡常一棟梁に21歳で入門、唯一の内弟子となる。法輪寺三重塔、薬師寺金堂、西塔の再建で副棟梁を務める。昭和52年、鵤工舎を設立。各地の堂塔の造営とともに、数多くの弟子を育てる。

師匠から弟子へ

日本の大工はかつて、徒弟(とてい)制と呼ばれる修業を送った。師匠へ弟子入りし、寝食を共にしながら、技術の伝授にとどまらず、職人としての心構えをも身につけていく方法である。代々家業として、大工を受け継ぎ、親子や兄弟が家の中で切磋琢磨(せっさたくま)し、腕を磨いた家柄も多い。だが小川が宮大工への道を歩むきっかけは、青年時代の偶然の出会いといえるものであった。高校の修学旅行で小川は、世界最古の木造建築を誇る奈良・法隆寺を訪れた。そのとき、金堂と五重塔が聳(そび)える古代建築の壮麗な伽藍(がらん)に感激し、宮大工になることを決意した。その後、法隆寺の作業場へ足を運び対面したのが、法隆寺昭和修理工事を率いていた「日本最後の宮大工」と称される棟梁・西岡常一であった。世界最古の木造建築を舞台に、西岡を師と仰いだ小川の棟梁への道のりがはじまった。

左:長弓寺本堂 (1279年、奈良県)
檜(ひわだ)皮葺きの長弓寺本堂は、瓦葺きにくらべてその軒反りが際立つ。彫刻は限定的であり、建物全体の線の美しさを極めた鎌倉時代の建築。小川棟梁もこの建物がつくる線の美しさを理想とするという。
右:法隆寺五重塔と西岡常一
世界最古の木造建築法隆寺五重塔の軒先をみると、その五層に連なる屋根が狂いなく揃っている。数少ない道具で、これほどの納まりを実現したのは、不揃いの木のクセを読み、それを適材適所に組み合わせたからだと西岡は語る。

棟梁に必要な力

日本の棟梁に求められる力は、単に建物をつくるための技術だけではない。個性豊かな木と木を組み合わせ、そのクセを最大限にいかす知恵、道具を使いこなす腕、部材を正確に納める技といった幅広い能力が必要である。さらに、先人が築いた建物に美しさを見出す美意識をもち、曲線や勾配の見事さといった芸術性をもちあわせなければならない。堂塔を建てる工期は極めて長い。構想も壮大であり、扱う材料も住宅に比べて格段に大きい。そうした迫力ある物に対する精神力、いわば、ものづくりへの執念も必要となる。 そして棟梁に最も重要なものが総合力といえよう。多彩な諸職が働く仕事の全体を見渡し、工費や工程、職人同士の組み合わせなど、人を束ねて大きな建物を仕切る能力を備えていなければならないからである。西岡常一のもとで修業していた小川三夫は、26 歳の若さで、法輪寺三重塔再建の現場棟梁(副棟梁)を命じられた。稀有(けう)の現場で、師匠の技を学び、職人を束ねる力を身につけていったのである。

設計 - 美しい線を極める

日本建築のみどころに、鳥が羽ばたくように美しく反りあがった軒先の表現がある。中国大陸の建築では、屋根を支える垂木は扇状に配置される。これと異なり、日本の垂木は平行に規則正しく配される。この平行垂木と、隅へ行くほどに反り上がった軒先の線を三次元で正確に納め、かつ全体のバランスを美しくみせるべく、規矩(きく)術と呼ばれる設計技法(図学)が発達した。また、この精緻な納まりを実現するため、屋根の重みは桔木が受けて、垂木自体は重さを受けない化粧材として変化する日本独自の構造が生み出された。

薬師寺東院堂構造模型 縮尺1/2
平行にかつ反り上がった垂木の納まり、深く迫り出した軒先を実現した日本独特な構造を表現する。1/2の縮尺で、吉野檜を使って制作。長押と格天井には、日本で発達した繊細な天井表現をみることができる。

薬師寺東院堂 (1285年、奈良県)
日本建築は平安時代末期から独特な屋根構造を備える。桔木(はねぎ)と呼ぶ材を小屋裏へ挿入し、これが屋根の重みを受けて、柱へと伝えるようになる。その結果、軒先を支える垂木の構造的な役割が減じ、細く美しい反りが実現するようになった。
鎌倉時代に造営された薬師寺東院堂は、この日本独自の構造美を伝える。小川棟梁いわく「古代のような威張ったところがなく、地をはうような穏やかな」建築が実現した傑作である。

大工道具 - 鋭い刃物が美しい建物をつくる

日本の大工道具は、室町時代以降に機能分化が進展する。とりわけ、台鉋や鑿、特殊な鋸といった精緻な仕上げを行う幅広い道具をもつことが特色である。小川棟梁の道具のこだわりは、無駄のない美しい線をつくること、木がもつ本来の艶(つや)をいかした仕上げをうみだすことにあるという。ただし小川棟梁はむしろ、数少ない道具で工夫を凝らした古代工匠を尊ぶ。「手道具は簡単であればあるほど、いろいろ複雑な仕事ができる。たくさんの用途がある」と棟梁はいう。また、小川棟梁の道具で特徴的なのはヤリガンナである。ヤリガンナは台鉋と違い、台で木を押さえつけないで削る。そのため、木がもつ本来の艶をいかした仕上げができるのは、台鉋よりむしろヤリガンナだと語る。

各種の台鉋とヤリガンナ 小川三夫蔵
鵤工舎の研ぎ場
刃物研ぎは木を正確に仕上げるために必要な技術であり、大工の基礎といわれる。
宮大工が建てる堂や塔は幾重にも高く材を組んで積み上げていく。ほんのわずかな狂いでも積み重ねれば大きく狂う。そのため、入念に研いだ道具を使った加工が欠かせない。
ヤリガンナ
古代、台鉋のない時代に材を仕上げるために使われていた道具。法隆寺の昭和大修理時に、西岡常一らにより復元され、現代によみがえった道具である。小川棟梁は、木のもつ艶を損なわないという面で、台鉋よりヤリガンナは格段に優れた道具だという。

受け継がれる技と心 - 宮大工の口伝

堂宮大工の世界には口伝と呼ばれる、代々家に受け継がれてきた言葉がある。たとえば法隆寺大工の西岡家に伝わる口伝に、「木組は寸法で組まずに、木のクセで組め」という言葉がある。山で育つ木には個性があり、クセのある木を規格化して寸法で組むことを戒めたものである。口伝の多くは、細やかな技術的指南ではなく、職人としての拠り所となる心構えを伝えるものである。また古くはその名のとおり、こうした口伝は師匠から弟子へ、多くの場合は親から子へと、家のなかで口頭で語り継がれてきた。現場や工房のほか、こうした技術伝承の場があったからこそ、日本建築の細やかな技術が継承されていったのである。小川が率いる鵤工舎もまた徒弟制を踏まえ、寝食をともにした技の伝承が行われている。