対談 『絵本のちから』 -絵本が子どものこころを大きくする-

今年で出版から45年を迎える『わたしのワンピース』。長きにわたり絵本の編集に携わってきた佐藤英和さんと、日本を代表する絵本作家の西巻茅子さんに、絵本づくりに込めた想いや、『わたしのワンピース』の完成に至る秘話を語っていただいた。

西巻茅子氏、佐藤英和氏

話し手:佐藤英和さん(こぐま社相談役)・西巻茅子さん(絵本作家)
聞き手:ギャラリーエークワッド(川北・岡部)
日 時:2014年6月3日 15:00ー17:0
場 所:竹中工務店東京本店にて

*文中敬称略

- 『わたしのワンピース』の誕生についてお話をお聞かせください。

佐藤:

西巻さんとの出会いは、版画協会の展覧会に出展されていたのを、画家の油野誠一さんから紹介を受けたことにはじまります。それで見に行きましたが、「えっ!この人が絵本を?」って思いましたね。全然具象じゃないもんですから。

西巻:

もともと、私は東京藝術大学の工芸科出身ですから、リトグラフを中心に子どものいたずら描きのような絵を描いていたんです。色を自由に描いて、その上にまた色版を重ねてという風に……。

佐藤:

絵本に向くかは別として、私は西巻さんの絵にとても感動したので手紙を出しました。「絵本をやりませんか?」って。

西巻:

当時は、将来どのような仕事をしようか、いろいろ考えていた時期でした。そんなときに手紙をいただいて、こぐま社にうかがいました。マンションの一室にある小さな事務所で「これ、本当に出版社なの?」って。

佐藤:

初対面でしたが、「私、絵本を描きたかったの」って言われて本当に嬉しかったですね。

西巻:

でも、じつはその時、絵本ってどんなものか全然知らなかったんです。ところが佐藤さんが「すぐに絵本を作ろう」って言うのでびっくりして、本当に出来るかしらって心配でした。

- その当時、日本の絵本事情はいかがでしたか?

佐藤:

当時、単行本としての絵本は、海外から輸入されたものしかありませんでした。いわゆる翻訳絵本ですね。バージニア・リー・バートンの『ちいさいおうち』(岩波子どもの本)などです。一方で 『こどものとも』、『こどものせかい』などの絵雑誌は、毎月出ていました。当時の月刊絵本は、版型やページ数が型にはまっていて、ちょっと窮屈な感じがしていましたので、型にとらわれない自由な判型で、日本人が描いた日本の子どもたちのための絵本を作ろうと考えました。そうして、こぐま社では『ほしのひかったそのばんに』という細長い絵本を作りました。当時としては型破りでしたね。

西巻:

私もその本を紀伊国屋で見つけて購入したのを覚えています。こぐま社との出会いですね。

- 外国の絵本に対してはどのような気持ちを持たれていましたか?

佐藤:

もちろんいろいろありますが、しっかりしたストーリーがあって、それに絵が合っていて、最後まで筋が通っているものが良い本だと感じていました。そんな中で出会った絵本が『あおくんときいろちゃん』でした。もちろん、まだ翻訳されていなくて、アメリカでの評判も芳しくありませんでしたが、私は「これが絵本だ!」と直感しました。

西巻:

そう!子どもにとっては、登場人物に口や手足が無くても“あおくん”と言えばあおくんだし、“きいろちゃん”と言っただけで感情移入ができるんですね。大人はそれが違和感なんだけど。

佐藤:

その後、藤田圭雄先生が翻訳されて至光社から出版され、いまだに読まれています。その点で、日本は絵本に関して独特な感性を持っていますよね。

- 西巻さんの絵本づくりについてお話しいただけませんか?

西巻:

私にとっての絵本第一号は『ボタンのくに』です。最初、佐藤さんから「何でもいいから絵を描いていらっしゃい」と言われたんですけれど、一応、主人公やストーリーを考えますよね。それで、洋服のボタンを顔にすれば、“ボタンの国“が作れるかなと思いました。そのとき中村茂夫さんから「追いかけっこの物語にしたら?」というアドバイスをいただきました。版画協会展が4月、こぐま社にはじめて行ったのが5月、第一作が完成したのが8月(1967年)。あっという間にできました。そういうエネルギーが当時はありましたね。

佐藤:

西巻さんには一年に一冊ずつ描いてほしいとお願いしました。二作目の『まこちゃんのおたんじょうび』は書評にも取り上げられて、結構評判になりました。

- 三作目『わたしのワンピース』の構想はどのようにして生まれましたか?

西巻:

何かを描き始めるときは、決まってスケッチブックを広げて手を動かしていますそうしているうちに、ふと三角形のワンピースやウサギが出てきました。ワンピースの模様を考えていると、小さいころに下着姿の女の子を描いて、それに三角形の色紙を服のように切って、肩につめをつけて、それを折り曲げて引っかけて、遊んでいたのを思い出したんです。それを一着のワンピースでできたら面白いなという気持ちで描きました。

佐藤:

西巻さんから電話があり、「佐藤さん、私、素敵なワンピースを拾ったの。見に来ない?」って。それで見に行ったら「これっ!」ってラフスケッチを見せてくれたんですね。そのとき私はね、「出来た!」って思いました。ところがこぐま社に持って帰ると、編集会議ではなかなかOKが出ませんでした。ストーリーの展開が飛びすぎていて、もう少し論理的展開が必要じゃないかと。

西巻:

ウサギが花畑に行く前に、ウサギは花畑が好きで、その結果そこに行くという説明が必要だと。当時の児童文学は論理構成を大切にしていました。原因とそれに対する動作があって、その結果として結末がある。でも、絵本の世界では、理屈なんていらないんです。子どもは絵を見ているんですね。「絵を読んでいる」と言いかえてもいいかもしれない。大先輩のスタッフからは「お花畑だいすき」という1ページを入れようと言われましたが、イヤだと言ったんです。必要ないって。

佐藤:

子どもにとっては、絵がお話を語っているのであって、お話に絵を付けているのではないんですね。この絵本は、お話そのものを絵で語ることによって、初めて成立させた画期的な絵本だと思っています。その後のこぐま社の絵本の方向性を決定づけたと言っても良いかもしれません。

- 「絵を読む力」と子どもの成長についてお聞かせください。

西巻:

私は子どもたちに絵を教えていましたが、子どもの絵の描き方って素晴らしいんですね。筆を持ったらバーッと描いちゃうのね。絵の中に自分を全部投入できるんです。その姿に私は感動して、こういう風に絵を描こうと思ったんです。

佐藤:

そんな子どもたちが小学校に入った途端に、つまらない絵を描いてしまうんですね。 絵を読んで楽しんだ子どもが、文字を読めるようになると、 「絵を読む力」を無くしてしまう。 何かを獲得するってことは何かを失うことなのではないかと思います。

西巻:

そういうことよね。自分がやっていることを他人はどう思うかということを学校で学ぶわけですね。それが社会の入り口でしょ。いろいろなことを獲得して子どもの無垢な部分は失われていくわけですね。でもそれだけでいいのかって考えさせられます。

佐藤:

ですから、早くから文字を読めるように教えるのは、子どもにとってよくないのでは……と思いますね。

西巻:

子どもに絵本を読み聞かせているとき、いつも思います。聞いている子どもの頭の中はどうなっているのかと。何度も何度も同じところを読んでくれって言うでしょ。あれはやっぱり、子どもにとって心が大きくなっていくための訓練なのね。這い這いから立ち上がるときだって、何度も転びながら練習をして歩けるようになるでしょ。毎日飽きずに転んでは立ち上がることが、生きている証じゃないかしら。本を読んでもらうことは、自分の心がその中に入ってストーリーを愉しむ訓練なんですね。その喜びの中で、子どもの心は成長していきます。そのとき、親には、子どもの心が大きくなっているなんて見えないけれど、とても大切な時間なんですね。絵本で子どもたちの心を十分に成長させる、そのことをもっと大切にしたいと思いますね。

佐藤:

その意味で、『わたしのワンピース』で白い布が落ちてくるシーン、ミシンでワンピースを作るシーン、お花畑で遊んでいるシーンなんて時間的・空間的にずいぶん飛んじゃっているんだけれども、子どもの中ではきちんとつながっているんですね。そのつなげる力を子どもは持っています。

西巻:

字が読めない時期の子どもってすごいですよ。人間の根源的なところがその時期に育っているって感じですね。それを飛ばしちゃったらダメなんですね。人間は理屈だけで生きているわけではありませんから複雑な社会で生き抜いていくためにも、この根源的な力を子どもたちに持たせたいと思います。

- こぐま社は、西巻さんの『わたしのワンピース』の他にも、わかやまけんさんの「こぐまちゃんえほん」シリーズや馬場のぼるさんの「11ぴきのねこ」 シリーズなど、多くのロングセラー絵本を作ってこられましたね。

佐藤:

そうですね。絵本を買うのはお母さんたちですが、それを読んでほしいという子どもたちの声があってこそです。ですから、ロングセラー絵本というものは、言いかえれば文字を読めない子どもたちが作り上げてきたと言ってもいいのかもしれませんね。これからも、その子どもたちの目線や心を大切にしていきたいですね。