絵本づくりのマイスター 西巻茅子 にしまきかやこ

プロフィール

撮影:黒澤義教

1939年、東京に生まれる。東京藝術大学工芸科卒業。学生時代からリトグラフ、エッチングを手がけ、日本版画協会展新人賞、同奨励賞受賞。「子どもが絵をかくときの気持ちや大胆さを大切にしたい」と語るとおり、のびやかな線と明るい色調で描かれるその世界が、子どもの心に自然に受け入れられている。代表作『わたしのワンピース』は親子三代にわたるファンも多い。『ちいさなきいろいかさ』(もりひさしシナリオ/金の星社) で第 18回サンケイ児童出版文化賞受賞。『えのすきなねこさん』 (童心社)で、第 18回講談社出版文化賞絵本賞受賞。その他作品多数。

主な作品

『わたしのワンピース』、『ふんふん なんだかいいにおい』、『だっこして』 、『あいうえおはよう』(以上こぐま社)、『ちいさなきいろいかさ』(もりひさし/シナリオ、金の星社)、 『えのすきなねこさん』(童心社)

『わたしのワンピース』 1969年/こぐま社
発売から45年。累計155万部を超える人気作品。

45周年を迎えた「わたしのワンピース」 ― 西巻茅子

親子3世代にわたって今も愛され続けるロングセラー

この絵本が出たばかりの頃は、お嫁に行くときに嫁入り道具として持って行くようになればいいわね、なんて言っていたけれど、それが現実になっています。その頃は、昔話絵本が主流で、書店でも、絵本そものもがそんなにない時代でした。当時、まだ創設されて間もないこぐま社の創設者・佐藤英和さんとの出会いがこの絵本を生みました。

大人が子どものためにいいものを出そうと夢中になっていた時代

油野誠一さんや馬場のぼるさん、児童文学者の森久保仙太郎さん、他にもこぐま社の創立時に集まっていたメンバーがたくさんいて、そこに行くと私だけが20代。この「絵本おじさん」たちはなんでこんな絵本に夢中になっているのかな、と不思議だった。みんな、こぐま社にしょっちゅう集まっては、絵本の話をしていて。でも、あの当時はそういう時代だったのね。時代の空気が今と全然違う、大人が子どものためにいいものを出そうと夢中になっていた感じでしたね。

図書館にいつもない本

昔話や童話に絵をつける絵本が主流だった中で、私はものをつくる人間として先例があるものはやりたくない、誰もやったことがないものをつくりたい、そうでないとクリエイティヴとは言えないと思っていました。そういう思いで作った『わたしのワンピース』だから、新しい感じはあったと思います。でも、絵本が出来たときは誰もほめてくれず、どこの書評にもひっかかりませんでした。販売から7、8年たって、東京子ども図書館の方が、朝日新聞の書評で「図書館にいつもない本」として紹介してくれました。返却されるとすぐまた借りていかれるからです。その時は一番うれしかったですね。やった、と思いました。それからですね。広く読まれるようになったのは。

目指したのは文章がない絵本

編集会議では、花畑を通ったらワンピースが花模様になる、というのが分かりづらいから、うさぎは、お花が大好きとか、花畑を寝転がるとか、そういう要素を入れてとも言われたけれど、理屈っぽいのは嫌だったんです。当時、子どもの本を作っているという意識はすごくあって、こぐま社にあった世界中の絵本のコレクションを見ながら勉強して、自分にとって3冊目の絵本だから、自分のやりたいようにやろうと、絵でわかっていくような絵本をつくりたいと思っていました。最初は、文章がないような絵本をつくりたいと思っていたくらいでした。絵だけの変化でページをめくっていけるような作品だったら、それはそれでいいのではと思いました。

足踏みミシンと母のスタイルブック

小さい頃はいつも絵を描いて、いたずら描きをして遊んでいました。洋服をつくって遊んだり、母のスタイルブックでいろんな服を見ていたり、この絵本には子ども時代の経験がなんとなく混ざっているのだと思います。中学生の時には、母の足踏みミシンで自分でいろいろ縫っていましたね。

MOE 7月号(2014年)インタビュー記事より

リトグラフの手法でつくられた『わたしのワンピース』

西巻茅子さんは、東京藝術大学工芸科を卒業してまもなく、刷り師の木村希八さんがリトグラフ制作をアドバイスする工房に通っていました。そこで制作したリトグラフを日本版画協会展に出品したところ、新人賞を受賞し、それを見た画家の油野誠一さんが、絵本出版社「こぐま社」の佐藤英和さんに紹介したことがきっかけで、デビュー作『ボタンのくに』が生まれました。

最初、佐藤英和さんは、油野誠一さんから「見に行きなさい」と言われて、西巻さんの絵を見ましたが、この人が絵本を描くのか、と驚いたそうです。しかし、その色使いの美しさに、すぐにも「絵本を描きませんか?」と依頼の手紙を書きました。西巻さんは、当時、画家は書かれた文章に絵を添えることが多かった時代でしたが、絵・文とも自分で手がけることができ、本を大切にしてくれる佐藤さんに、すぐに「わたし、絵本を描きたかったの」と返事をして、こぐま社と絵本作家への道を歩むことになりました。

西巻さんがひろったすてきなワンピース 佐藤英和(こぐま社相談役)

1966年に私がこぐま社を起こした当時、日本の子ども向けの本は昔話や世界名作、など不特定多数を対象にしたものが主でした。外国のよい絵本を知る内に、こぐま社では特定少数の人のために、手作りのような絵本をつくろうと決心したんです。通常のカラー印刷はコストが高いけれど、画家が色分けするカラーセパレーション方式なら少部数でも創作絵本が出来る。また、翻訳絵本は名作も多いけれど、外国の絵本はその国の子どもたちのために出来ている、だから日本の子どもたちのためには日本の絵本をつくろうと、絵描きさんたちに呼びかけました。こぐま社に画家の司修さん、馬場のぼるさん、油野誠一さんたちが集まり、版画の先生に指導してもらっていました。初絵本『ボタンのくに』も2作目の『まこちゃんのおたんじょうび』もなかなかいい絵本になったけれど最初は売れなかった。しかし、あるお母さんからこういう手紙をいただきました。「隣の家に『ボタンのくに』があり、うちの子が何度も読むので買いましたが、こんな絵本ははじめてで、私はわからないけれど、子どもは好きなんです」そして、お母さんはこぐま社のファンになった。子どもの方がわかるんです。『わたしのワンピース』もそうなんですよ。西巻さんがある日電話で「佐藤さん、わたし、すてきなワンピースをひろったの。見に来ない?」というので、行ってみたらこの絵本のデッサンがあって。「まっしろなきれ ふわふわって そらから おちてきた」という書き出しから、まったく考えられないことですよ。「あるところにまこちゃんというおんなのこがいました。あるときおさんぽにでかけていきました。するとまっしろなきれが…」と当時はそれが普通。でももう次に「ミシン カタカタ」。「あれっ、ワンピースがはなもようになった」…ここでなんで花模様になったの、と聞く子どもは一人もいない。大人は疑うんです。先入観があるから。ところが西巻さんは子どもの気持ちがわかる。お花畑を散歩していたらお花模様になる、逆になんでわからないの。と。「あれっ ワンピースが みずたまもようになった」、これでめくるのをやめる子どもはいない。どうしてもめくりたくなる。それが絵本ですよ。それまで日本の絵本にそんな作品はなかったんです。

MOE 7月号(2014年)インタビュー記事より