佐藤英和さんが、こぐま社を創設した1966年は、日本の創作絵本が世に出る黎明期でした。外国の絵本に刺激を受けて、今度は日本の創作絵本を作ろうと、作家たちがうずうずしていた時代でした。そんな時代に「こぐまちゃんえほん」シリーズを始めとするロングセラーが生まれたのです。
私は、「こぐまちゃんえほん」シリーズを作ろうと考えたとき、日本の子どもが初めて出会う本には、美しい日本語が必要だと思いました。また、「絵本にはドラマ性が必要だ」と考え、劇作家の和田義臣さんにも、絵本について一緒に考えてくださいとお願いしました。当時、和田先生は、誠文堂新光社の編集者として活躍されている最中で、『子どもの科学』など、子ども向けの本や学校教材、学校劇の本に取り組むうちに、次第に劇の脚本の道へ興味を持たれていたころでした。宮沢賢治の『よだかの星』を脚色して文部大臣賞を受賞し、演劇、特に学校劇の世界では大変注目されている方だったんです。
私がお願いすると、和田先生は「なぜ私が絵本を?」と、最初はあまり乗り気ではなかったと思います。しかし、私が絵本にはドラマが必要だと考えていること、その理由は外国の優れた絵本には、必ず主人公が困難を乗り越え、旅立ち、成長するというドラマティックなストーリーが用意されていることを説明し、どうしても、先生にストーリーの起案をお願いしたいと説得したのです。それから、和田先生は私の外国の絵本のコレクションを繰り返し見に来るうちに、次第に、絵本の世界にのめり込んでいかれました。
こぐま社を創立して、最初に出版した絵本『ほしのひかったそのばんに』も和田先生の文章と司修さんの絵で制作しました。当時出版される本の大きさにはほぼ決まった版型があり、このような細長い形の本はありませんでした。私は、絵本は子どもが最初に出会う本。だからこそ、最高のデザイン、最良の言葉で絵本を届けたいと考えていました。しかし、この本は、当時にしては大変斬新なものでした。朝日新聞の書評にも取り上げられ、丸善の書店にも並び評判を呼びました。
本は、言葉の力がなければ読めません。言葉の力の一番最初が、聞くという力。やがて、話すことが出来るようになります。字が読めるというのは、ずっとあとになってから獲得する言葉の力なんですね。
まだ字を読む力を持っていない子どもは、絵という言葉をつなぎ合わせてお話を読み取っていきます。その時に、自分に楽しみをもたらす本があれば、必ず子どもは「もう一度読んで」といって持ってくるわけです。これは、子どもの中に、「この本は、自分に喜びをもたらしてくれる本だ」ということを見分ける力があるということですよ。どんな本でも良いわけではないのです。
どんなにIT革命が進んでいったとしても、本を読む喜びを子どもたちに初めて味わわせるのは絵本以外にないと思うのです。メディアが多様化しても、絵本の役割はいささかも減ずることはないし、それどころか、ますます有用で重要なものになっていくと信じています。
シリーズ第一作目『こぐまちゃんおはよう』が誕生したのが1970年ですが、私はその少し前の1967年を「日本の創作絵本創始の年」と呼んでいます。この年、突然のように今も読み継がれている名作絵本が多数登場したのです。例えば、『11ぴきのねこ』(馬場のぼる)、『くまさぶろう』(もりひさし作/ゆのせいいち絵)、『スーホの白い馬』(大塚勇三再話/赤羽末吉絵/福音館書店)、『いないいないばあ』(松谷みよ子文/瀬川康男絵/童心社)、『だるまちゃんとてんぐちゃん』(加古里子作・絵/福音館書店)等々。翌年には、『おんなじおんなじ』(多田ヒロシ作/こぐま社)も登場していますね。少しさかのぼれば、62年『おおきなかぶ』(内田莉沙子訳/佐藤忠良画/福音館書店)、63年『ぐりとぐら』(なかがわりえこ作/おおむらゆりこ絵/福音館書店)、などもあります。
1961年に『いたずらきかんしゃちゅうちゅう』(バージニア・リー・バートン文・絵/村岡花子訳/福音館書店)、『100まんびきのねこ』(ワンダ・ガアグ文・絵/石井桃子訳/福音館書店)が原書の形のまま日本で翻訳出版されて、私たちは“カルチャーショック”と呼んだのです。外国絵本の日本版は、国語の教科書の大きさで縦書きが主流でしたが、『いたずらきかんしゃちゅうちゅう』は大判で、『100まんびきのねこ』は横型、どちらも一色刷りで背景は真っ白。それまで日本の絵本は、空は青く、地面は茶色に…というように全部塗ってあり、真っ白なところがない絵本が多かったのです。外国絵本は、必要なものだけ描いて、あとは余白、私たちはそれを「外国絵本のホワイトスペース」なんて言ってね…。こぐまちゃんもそんな熱い時代の空気の中で各分野の専門家が結集して作られたものですよね。
こぐまちゃん絵本は、「集団制作」という形が取られました。作家が書いた物語に画家が絵をつけるという一般的なやり方ではなく、「お話を考える人と絵を描く人が話し合って作る」という方法で作られたのです。私は「原案提出者」って呼ばれたんです。「こんなテーマがいいんじゃないか」というお話の種を提案する人。それから言葉を考える役目ね。こぐまちゃん世代を理解するために4人で保育園に一日入園したこともあります。3歳とはどんな年齢か感覚的に勉強させられました。私が言葉を考える時に一番多かったのが「絵を見て、絵が語ってくれる言葉を書いた」ということなんですよ。『こぐまちゃんおはよう』の、「まだですか まだですよ こぐまちゃんは まいにち うんちをします」佐藤さんは、排泄の場面をこんなに美しい日本語で書いた絵本はないってほめてくれたけど、こんな言葉はね、最初からでてこないですよ。絵の中からあふれてきた言葉です。
1928年生まれ。長崎県の島原で幼少時代を送る。1953年、児童書編集者を志して河出書房に入社、編集者となる。1966年、創作絵本のこぐま社を設立。編集者として、『11ぴきのねこ』シリーズ、『こぐまちゃんえほん』シリーズ、『わたしのワンピース』などを手がける。こぐま社相談役、公益財団法人東京子ども図書館監事。
1913年福井市に生まれる。編集記者より劇作に転じ、さらにこぐま社の設立に参加して絵本制作に専念する。著書『劇の書き方』、『人物日本百年史』(3巻)。戯曲『よだかの星』、『あべこべ物語』、『鼻』等。絵本に『ほしのひかったそのばんに』、『こぐまちゃんえほん』シリーズ、『たっちゃんさっちゃん』シリーズなど。2006年没。
1917年鎌倉市生まれ。日本の児童文学作家、翻訳家、教育評論家、詩人。本名は、森久保 仙太郎(もりくぼ せんたろう)。鎌倉師範学校(後の横浜国立大学教育学部)卒業。1968年まで和光学園小学校教諭を勤める。歌人筏井嘉一に師事。外国の児童文学作品の翻訳もを行う。翻訳絵本、エリック・カール『はらぺこあおむし』など。