佐藤さんのお庭
岡部三知代(主任学芸員)

1960年代から70 年代にかけて、出版界は、第一次絵本ブームとなり、いまでも世代を超えて読み継がれる圧倒的なロングセラーが数多く生まれた時代でした。『おおきなかぶ』(内田莉莎子 訳、佐藤忠良 画、福音館書店/1962)『ぐりとぐら』(中川李枝子 文、大村百合子 絵、福音館書店/1963)もこの時代に生まれた名作です。こぐま社の代表作である『わたしのワンピース』、「11ぴきのねこ」シリーズ、「こぐまちゃんえほん」シリーズも、その時代に産声をあげた名作絵本です。こぐま社創設者で、編集者でもある佐藤英和さんは、日本の作家による創作絵本がまだ数少ないその時代に、日本の「ことば」や「色」を使った本物の芸術作品を子どもたちに見せたいと、リトグラフという手法により、細かい4色の網点の掛け合わせで表現されるオフセット印刷ではなく、作家が自分で色分けし、色ごとに絵を描き分けて、版を重ねて印刷する方法を考えました。また製本も、中綴じミシンを採用し、丈夫で子どもがどのように扱っても壊れないようにと、こだわりぬいた絵本を創作してきました。現在においてはこのような手作りの方法はとても贅沢なものになってしまいましたが、当時は原画から4色に分解する製版費用が高かったため、その行程を作家と共に作り上げるこの方法は、佐藤さんが工夫に工夫を重ねて考え出したものでした。

この企画にあたって、こぐま社創設者の佐藤英和さんに何度も何度もお話をうかがいました。

「まだ文字の読めない子どもたちにとって、絵本の絵はことばなんですね。子どもたちは、絵を見て場面と場面とを結び合わせながら読んでいるんです。」
「文字を覚える前の子どもたちに届ける本はとても重要ですから、美しいことば、美しい色、そして外国ではなくて、 この日本の暮らしや風景を題材にした物語を子どもたちへ届けたいと考えたのです。」

その佐藤さんの想いに説得され、いつの間にか一緒に絵本作りに夢中になって邁進した仲間たちがいました。「こぐまちゃんえほん」シリーズでは、歌人で小学校の教諭でもあった森久保仙太郎さん、劇作家の和田義臣さん、そしてデザイナーの若山憲さんです。立派な大人の男の人がマンションの一室にある小さな事務所に集い、子どものためにどんな絵本を作ったら良いか、喧々諤々の議論を交わしたといいます。時には、2、3歳の子どもの気持ちが分かりたくて、4人で保育園に入園したこともあるそうです。
その小さな編集会議の行われた一室は、「絵本は子どもが最初に出会う本。だからこそ、伝えたいことを心をこめて、工夫して、愉しんで、最高のものを贈りたい」という芸術家であり、マイスターたちの集う庭だったに違いありません。
最初はぺんぺん草やシロツメクサが咲く、どこにでもある小さなお庭だったのかも知れませんが、やがてそこに、「わたし、素敵なワンピースを拾ったの…」と白い布を拾った西巻茅子さんが野イチゴを摘んで来て、古典を絵本にしてみてはどうかな、などと考えながら『虫愛づる姫君』を朗読する森久保仙太郎さんが座っている。そこへ育児日誌ならぬ育児スケッチを抱えた画家の若山憲さんも、「こんなことがあったよ」とやってくる。さらには、和田義臣さんが、宮沢賢治の『よだかの星』の脚本を携えて縁側で星空を見ている。「子どもは面白くなくっちゃ本なんて読まないよ…。」と馬場のぼるさんも顔を出す。ときおり、「リトグラフは任せて」と刷り師の木村希八さんからリトグラフを習った山田サビンさんもやってくる。「ああでもない、こうでもない。」と、子どもたちのために大人が真剣に語り合う創作絵本の庭がそこにありました。次第にお庭には花が咲いて、蝶々や小鳥がやって来て、日本中の子どもたちの心に絵本の種を植えて行ったのです。母から子、子から孫へと、世代を超えて読み継がれるロングセラーが生まれた、あるひとつの場所のお話です。
絵本との出会いが心を大きく育て、豊かな想像力を育むことは、人生を豊穣なものにする生涯の宝物です。ITやDTPが進化して、どのようにメディアが変遷しても、子どもの心の原点には何の変りもありません。今こそ、絵本の果たす役割は大きいのではないかと思います。

この展覧会は絵本の作り手側の想いに目を向けて、心を育む原点とは何か、すでに大人になった私たちにも問いかけることが出来ればと思っています。