Yoshimura Jyunzo
吉村 順三


略歴

1908年(明治41年)
  • 9月7日 東京・本所生まれ。家業は呉服屋を営んでいた。
1921年(大正10年)
  • 建築雑誌「住宅」誌主催「小住宅設計懸賞」に2案応募して入選、選外佳作となる。(13歳)
1923年(大正12年)
  • 関東大震災で本所付近全壊。(14歳)
  • 東京府立第3中学校卒業
1926年(昭和元年)
  • 東京美術学校卒業。卒業制作が最小限住宅(新しい住宅のスタンダードの在り方を提案)。在学中からアントニン・レーモンド建築事務所に通っていたが、正式に入所。(18歳)
1931年(昭和6年)
  • 帰米したアントニン・レーモンドに呼ばれ、渡米。
1940年(昭和15年)
  • 太平洋戦争開戦直前に最後の引き揚げ船で帰国。
1941年(昭和16年)
  • 同じ船に乗り合わせていたジュリアード音楽院に留学していたバイオリニストの大村多喜子さんと出会い、その後結婚。チェリストになった長女・隆子さんと3人家族。
  • 同年12月8日 太平洋開戦(真珠湾攻撃)の日に建築設計事務所を開設。(33歳)
1945年(昭和20年)
  • 東京美術学校(現在の東京芸術大学)助教授に就任。(36歳)
1956年(昭和31年)
  • 日本建築学会賞受賞(国際文化会館の共同設計)(48歳)
  • パーソン賞受賞(ニューヨークの一連の作品)
1960年(昭和35年)
  • 皇居新宮殿の設計者に選定され、基本設計。(52歳)
1962年(昭和37年)
  • 東京芸術大学建築科教授に就任。(54歳)
1970年(昭和45年)
  • 東京芸術大学建築科名誉教授。
1972年(昭和47年)
  • デザイン優秀賞受賞(ニューヨーク・ジャパンハウス)。
1975年(昭和50年)
  • 日本芸術院賞受賞(奈良国立博物館)。(67歳)
1980年(昭和55年)
  • 病に倒れ入院するが、およそ1年で現役復帰。(72歳)
1982年(昭和57年)
  • 勲三等旭日章受章。
1994年(平成6年)
  • 文化功労者顕彰。
1997年(平成9年)
  • 逝去。勲2等瑞宝章受章。(88歳)


主な作品

1953年(昭和28年)
  • 佐倉厚生園サナトリウム/千葉
  • 東山魁夷邸/東京
1954年(昭和29年)
  • ニューヨーク近代美術館日本館/アメリカ
  • 三里塚教会/千葉
1955年(昭和30年)
  • 園田高弘邸/東京
  • 国際文化会館(前川國男、坂倉準三と共同設計)/東京
1956年(昭和31年)
  • モテル・オン・ザ・マウンテン/アメリカ
1957年(昭和32年)
  • 南台の家(吉村自邸)/東京
1959年(昭和34年)
  • 箱根ホテル小涌園/箱根
1960年(昭和35年)
  • 皇居新宮殿(基本設計)/東京
1962年(昭和37年)
  • 軽井沢の山荘(吉村山荘)森の中の家/軽井沢
  • 同志社大学アーモスト館/京都
  • NCRビル/東京
1965年(昭和40年)
  • 浜田山の家/東京
  • 俵屋/京都
  • 愛知県立芸術大学・講義室棟ほか/愛知(〜1971年)
  • 文殊荘/京都
1969年(昭和44年)
  • 青山タワービル・タワーホール/東京
1970年(昭和45年)
  • 軽井沢の山荘(脇田邸)/軽井沢
  • 山中湖の山荘(亀倉邸)/山梨
  • ホテルフジタ/京都
1971年(昭和46年)
  • ジャパンハウス/アメリカ
1972年(昭和47年)
  • 奈良国立博物館/奈良
1974年(昭和49年)
  • ポカンティコヒルの家(ロックフェラー邸)/アメリカ